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山野善正氏『ズッキーニとチコリ』
- 2016/6/16
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協会では、医師や専門家による鋭い視点で捉えた、健康と食に関する様々なコラムを掲載しています。今回は、一般社団法人おいしさの科学研究所理事長の山野善正氏に、「ズッキーニとチコリ」について語っていただきました。
山野 善正Yoshimasa Yamano
一般社団法人おいしさの科学研究所 理事長
滋賀県生まれ。京都大学農学部農芸化学科卒業、農学博士。
東洋製缶東洋鋼鈑綜合研究所研究員を経て、香川大学農学部食品学科講師、助教授、教授。評議員、学生部長、農学部長。退職後2005年より現職。この間、アメリカ、オランダ、オーストラリアの大学で研究。専門は食品物理学。フィルム包装食品の加熱殺菌、食品コロイド、エマルション、テクスチャーについて研究。テクスチャーの研究で、食品科学工学会賞受賞。食品企業、化粧品企業等の顧問、種々の公的委員を歴任。また、民間時代レトルトパウチ第1号“崎陽軒のパック入りシュウマイ”の開発を担当。著編書にコロイド、テクスチャー関連専門書の他に、「おいしさの科学(編著)」(朝倉書店)、「おいしさの科学事典(編著)」(朝倉書店)、「おいしさの科学がよーくわかる本」(秀和システム)、「うどん王国さぬきのおいしさ」(おいしさの科学研究所)等がある。
「ズッキーニとチコリ」
1970年代に、渡米しミズーリ大学で研究していた頃の話である。
ある日、スーパーマーケットで変わったキュウリを見つけた。また、別の日には白菜の芯のようなものを発見した。実は前者はズッキーニであり、後者はチコリだった。当時、日本ではこの2つの野菜はまだ販売されていなかった。その後帰国して、いつの間にか日本のスーパーマーケットで、これらは手に入るようになった。その後も諸外国からどんどん新しい野菜が導入され、普通に家庭の食卓や居酒屋のメニューにみられる現象が続いている。
古来、本州には、木の実、山菜、海藻、魚介類など、現在あるようなものはほとんど存在しなかったのである。例として、安達 巌が整理した食用植物について示す。縄文時代には、緑豆・小豆が熱帯アジアから、瓜・里芋・薯蕷(ヤマノイモ)・蒟蒻(コンニャク)がアフリカから、陸稲・水稲・稗(ヒエ)・粟(アワ)がインドから、燕麦(カラスムギ)・蕎麦(ソバ)が中央アジアから、大豆が北中国から、小麦がオリエントから、大麦が南東アジアから、大根・蕪菁(カブラ)がヨーロッパから、といった具合だ。また、弥生時代には、杏子・梨・桃・韮(ニラ)・辣韮(ラッキョウ)が中国から、胡桃(クルミ)・葫(ニンニク)が西アジアから、葱(ネギ)が中央アジアから伝来したというわけである(安達 巌、日本食物文化の起源、株式会社自由国民社、1982)。
その後もどんどん新素材が導入され、今もそれが続いている。現在手に入る食材はほとんど全種類が外来種である。日本人の祖先そして現在の日本人も外来種をその土地の土壌や気候に合うように改良し育ててきた。
日本の技術は世界に冠たるものといわれ、自動車産業をはじめ、ロケットや飛行機の部品、また陶器や人形、織物など、職人を尊んできた風土がこれを支えてきたに違いない。
TPPで日本の農業が危機にさらされているというが、経済的なことはさておき、前述のように外来種をことごとく適地させた事実に裏付けされるように、日本の農業技術もまた、世界に誇れるものと確信している。たとえば、どこかの砂漠であっても、またサバンナであっても、日本の農業者であれば、きっと数年でその地に合う農業を切り開き、根付かせるだろう。日本農業万歳!
(大塚薬報No.716より転載)